今考える「終わりの会」の異常性

今もあるのかは知らないが、自分が小学生の頃(1986年〜)、小学校の一日の最終行事として「終わりの会」なるものがあった。

通常は連絡事項などが占めていたが、その中でフリーフォームに懸念を告発する機会があった。要は「チクり」というもので、「○○君が掃除中遊んでいました」みたいな事項をクラス全員の前で発表する。クラスの方針ではなく、極低学年時を除いて全部の学年であったので多分学校の方針だったんだろうと思う。

自分が悪いことをしていて、それが正当な追求であったのであれば謝罪することではあるのだが、問題は追求された者が問題とされるものを実行していない場合。気の弱い(もしくはむしろ、同調圧力に脆弱な、平たく言えば周りの目を気にする)人であれば覚えがなくとも、その場で謝罪していた部分があったと思うが、自分の場合はひねくれていたのと、クラスの中でもあまりポピュラーな立ち位置(浮いた存在、つまり、クラスで「ペアでグループになってください」と言われて余るような感じ)ではなかったこともあり、やっていないことはやっていないこととして、決して認めなかった。そのため、「終わりの会」が一時間以上続くというような異常な事態も珍しくなかったように思う。(そこまで酷くなると先生もしびれを切らして反対に謝罪を強要することはあまりなかった。「良心に任せます」というようなまとめをしていた先生が多かった。)

「終わりの会」の異常さは告発された者の保護が十分にされていない点、そして判断する機構が同調圧力という、要は利害関係者であるという点である。つまり、簡単にいうと言ったもん勝ちである。やっていないことを証明する、いわゆる悪魔の証明は非常に困難であるし、ましてやクラス内に味方が少ない場合は弁護してくれる人もいない。反対にそういう者がターゲットにされることが少なくなかった。味方が少ない、そして、公正な第三者による判定もない中ではただ単にこの「終わりの会」はただ単にクラス内を不和にする、百害あって一利なしの最も不毛な機能だったと思う。なので、毎日のようにクラス全体で話し合われる意味のないような議題(クラス全体で話しあうようなことではない、当事者同士で解決するような問題)やそもそもその行為自体に、被害を被るものがいない行為について話し合われたり、個人的にも自衛的に他の者の非行を小さいものも含め告発していた。(というか、それくらいしか自衛する手段が用意されていなかった。)

今でもこのシステムが残っているのかは知らないが、もしやっているのであれば今すぐ中止するべきである。